あの子が衣装に着替えたら

ライブハウスとサッカースタジアムに溺れる人による、アイドルとその周辺の音楽のこと。

突然卒業することになった推しの卒業ライブに行った話。

【前回までのあらすじ】

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前回のブログを書いた直後の夜は地元のモノノフ友達と「とりあえず集まろう」となって、小さな飲み屋で話をたくさんした。その場にいたメンバーで卒業ライブのチケットを申し込んでいたのは私を含め4人。「こんな急に決まったライブだし、4人いれば誰かしら当たるでしょ」となり、次の週「1月21日のライブ以降にもう一度集まろう」と約束をしてお開きになった。私は相変わらずフワフワしていて、ツイッターに「れに かなこぉ〜 しおり ささきあやか が圧があっていいんじゃないか」というしょうもないことを書いていた(怪盗少女の話)。

 

チケット当落発表の日。別の友人(れに推し)からLINEが来た。

「スタンディング2枚当選したので一緒に行きませんか」

 

遡ること数年前。「ももクロぴあ vol.2」というムック本に「架空の高城れにソロコンサートチケット」が封入されるという企画があった。ムック本のおまけとして、チケットぴあの正式なチケット券面にて「高城れにソロコンサート応募券」が封入されるが、そのうち限られた数百枚だけは「高城れにソロコンサート入場券」として、きちんと会場と整理番号まで印字された「手の込んだ架空のチケット」になっている、ただしあくまでも架空のため、そのコンサートは実施予定がなくチケット券面には日付も書かれていない…という企画だった。

実は私が買った「ももクロぴあ vol.2」には、その「高城れにソロコンサート入場券」が入っていた。そして、3年前の2015年、その「架空のコンサートチケット」で実際に入場が可能な「高城れにソロコンサート」の開催が決定したが、私はそのチケットをれにちゃん推しの友人に「行けないからあげるよ」と譲っていた。

 

杏果の卒業ライブ、同行枠で誘ってくれたのは、その時にチケットを譲った友人だった。「やっとあの時の恩返しができます」って。私はれにちゃんのクアトロのチケットのことなんて忘れていたのに。ちなみに私は落選していた。

 

当日。朝一の飛行機で羽田へ向かい、幕張へ。1月とは思えないほど暖かく(北海道民基準)、「新しい青空へ」という言葉の通りに空は晴れ渡っていた。現場の誘導は無茶苦茶で、急遽決まったことを物語っていた。

いつも通りカラフルなのにどこか静かだった。チケットを譲ってくれた友人とも久々に会ったのに、これから始まるライブを前に何を話していいのかもわからず、黙り込んでしまって申し訳なかった。けれど、何も言葉が出てこなかった。味わったことのない感覚で、味わったことのない時間だった。

 

入場すると会場ではももクロメンバーの出演するラジオが流れていたけれど、ラジオの話し声は観客のザワザワと同化してしまい何を喋っているのか全くわからなかった。唯一聞き取れたのは途中で流れたONE OK ROCKの曲だけで、それを聴いて「杏果が『私が真夜中に聴く曲』というテーマで選曲するソロラジオをやった時、ワンオクの曲を選曲していたなぁ…」とぼんやりと思い出していた。

 

入場後はいつも通りの各色5分の1の光景に見えたけれど、暗転後の光景は緑だった。理由はすぐにわかった、ももクロ現場はサイリウム2本持ちが主流だけれど、この日はみんな「推し色2本」ではなく「推し色と緑」を持っていた。幕張メッセ国際展示場は9〜11ホールをつなげる形になっていて、ちょうどホールの仕切りと思われる天井部分にガラスが貼られていて、そこにサイリウムの海が反射して、緑色の星空のようだった。

メンバーが出てきた瞬間は信じられなかった。5人が着ていたのは「杏果がインフルエンザで着れなかった紅白の衣装」だったから。思えば、その年の紅白は「4人のももクロ」だった。5人の最後が、今までは4人のものしか見たことない姿だなんて。

セットリストは有安杏果の歴史だった。ももクロが5人になって最初にリリースした「Z伝説」、ももクロに杏果が加入して最初にリリースした「未来へススメ!」、アルバムで杏果のメイン曲として用意された「ゴリラパンチ」…どの曲も選曲理由がはっきりとわかる曲だった。思い出と送り出すメッセージが詰まっていた。幕間の映像も「ももクロchan」のスタッフの愛が伝わって来るものだった(めちゃめちゃ笑った)。通路側が女性エリアだったのは、やはりフロートが来るからだった。目の前にフロートが来た時の光景が忘れたくないくらい眩しくて、涙が止まらなかった。

 

泣きながら話す4人とすっきりした杏果の対照的な姿は、全然現実感がなかった。

夏菜子が「10周年は5人で迎えたかった」と言った瞬間、周りにいた全員が泣く声が聞こえた(誇大表現ではない)。「こうするしかなかった」と答える杏果の言葉に、改めてその通りだと思った。お祝いの席は、続けていく人のためのご褒美と決意を新たにする場所であるべきで、辞める人の惜別の場になってはいけないんだと思う。笑顔でステージから去っていく姿を、見届けることが出来て、本当に良かった。

そのまましんみり終わると思われたけれど、南国ピーナッツさんこと松崎しげるさんが登場して10周年の東京ドームライブを告知していき、最後は「4人」のももクロによるパフォーマンスだった。

 

ライブが終わって、真っ先に思った率直な感想は「楽しかった」だった。最後なのに、楽しかった。4人のももクロの完成度はまだ30%くらいだったけれど、ライブのタイトル通り「OPENING」だった。ももクロはいつでも、未来に期待を抱かせてくれる。絶対に不安にさせない。

 

けれど、規制退場待ちの間、同じブロックで「なんなの!?」とブチギレている女の子がいた。杏果の挨拶がさっぱりしすぎてて許せない、もう本人の中でももクロがとっくに「終わったもの」になってるのが伝わってきてムカついた、来なければよかった!という話を同行者と思われる女性に延々と喚いていた。これが卒業までの一連の出来事の中で何よりも一番キツかった。思うのは自由で受け止め方も一つではないし、感情を言葉にすることで気持ちを整理できる人がいるのもわかるし、そういう意見もインターネットの海でたくさん読んではいたけれど、余韻にくらい浸らせて欲しかった。わがままだけど、緑推しのいない場所で言って欲しかった。声って、文字よりもずっと鋭利なんだよ。

 

ライブ後は近くの居酒屋を2軒はしごして、ひたすら話をした。

けれど最後にお開きになった時「次は東京ドームで!」って言われても、返事が出来なかった。どんなに話をしても、4人がどんなに未来を見せてくれても、即答できなかった。

 

これが、推しが卒業することなんだと思った。

 

一人になって、ホテルでツイッターを見ていたら「(4人でやった)あの空へ向かってで緑のサイリウムを振ってた人の気持ちを考えると泣ける」というツイートを見たけれど、あの時に緑を振ってた私の気持ちを正直に書くと、「待ってwwwwwねぇ何色振ればいいのwwwwww」みたいな感じだった。ステージにはいなくても、おそらくモニターで見ているだろうし、秒速で推し変なんて出来ないし、4人のことは一番が選べないくらい平等で好きだし、周りの緑のままだったから「とりあえず緑」だった。

けれど、東京ドームに行くならそうもいかないだろう。そう思って、10周年のチケットは申し込まなかった。

卒業の後に話したみんなが必ず「4人になったダメージがまだ残ってる状態での平日の東京ドームは厳しいと思う」と言っていた。けれど、私は絶対に埋まると思っていたから、ふわふわした気持ちの私が行くよりも、10周年にたどり着いた4人をずっと一番に応援していた人たちに優先的に行って欲しかった。結局東京ドーム公演は落選多数で追加公演が決まった。

 

それでもやっぱりももクロが好きで、ベストアルバムもすぐに予約して、れにちゃんがももクロになるまでの漫画も買って、新曲が聴きたくてクレヨンしんちゃんを見て、夏菜子ちゃんが吹替声優をやるからと吹替版を上映している映画館まで車で2時間かけて行っている。そして「もう4人なんだな」と何度も何度も再確認をしている。怪盗少女は本当に「れに かなこぉ〜 しおり ささきあやか」になっていて、笑ってしまった。

 

いつの日かまたライブに行くその日には、箱推しは、何色のサイリウムを持てばいいんだろう。