あの子が衣装に着替えたら

ライブハウスとサッカースタジアムに溺れる人による、アイドルとその周辺の音楽のこと。

憧れと後悔。

いわゆる「ヒット曲」に私が関心を持ち始めたのは、小学校高学年くらいの頃だった。街にはミリオンヒットが溢れ、ヒット曲を知らなければ友達との会話にも参加できないような時代。その波は小学校の教室にも到達していた。少し前まで「りぼん」や「セーラームーン」だった話題の中心は、当時人気に火がついたばかりだったミスチルSMAPに変わった。誰かがお気に入りのCDを学校に持ってきては、放課後こっそりと教室のラジカセでみんながカセットテープに順番にダビングする。

最初のうちは友達に勧められた曲ばかりを聴いていた。けれど、小学校高学年女子の世界は「同じものを好き」ということに狭量だった。先に誰かが好きになったアーティストを「良いね」と褒めることは喜ばれても、「ファン」になると「真似した」「取った」なんてことを言われてしまう。先に好きになった方が偉いという面倒な価値観の中にいながらも、幸運にも私は教室とは別の場所で(と言ってもテレビだけれど)、まだクラスの誰も見つけていなかった、心酔することになる歌手に出会うことが出来た。

 

それは「安室奈美恵」という名前の、17歳の歌手だった。

 

※ここから先は愛とリスペクトを込めて、私がこどもの頃から呼び続けている「安室ちゃん」という記述にさせていただきます。

 

初めてテレビで見て、すぐに安室ちゃんのCDをお年玉で買った。みんなにダビングして聴いてもらった。テレビに出ていれば必ず見た。親に隠れてこっそり振付の練習をした。安室ちゃんは歌が上手くて、かっこよくて、でも喋るとどこか辿々しくて可愛らしくて、スタイルが良くて、ずっと見ていたくなる瞳をしていた。少年誌のグラビアの隅に書かれた「身長157cm」という表記を見て、あんなにスタイルが良くて背が高く見える安室ちゃんの身長が自分よりも低いことに驚き、初めて「顔が小さい」という概念を知った。レギュラー出演していた「夜もヒッパレ」で毎週のように他のアーティストの曲を披露する姿を見て、最初のうちは「安室ちゃんは天才だから、人の歌もすぐに覚えちゃうんだ」と思っていた。けれど幼い私にもいつしかその姿が「きっとテレビに映らないところで努力しているんだ」というように映るようになった。

 

初めて熱狂するほど好きになったアーティストである安室ちゃんのことを、私は文字通り寝ても覚めても考えていた。

そんな矢先、中学生になっていた春。私はとんでもない新聞広告を見つけてしまう。

 

安室奈美恵コンサートツアー 北海道公演決定!」

 

そこに記載されていたのは、なんと安室ちゃんが近くの街の小さな市民会館でコンサートを行うという告知だった。安室ちゃんのようなスターには、東京に行かなければ会えないと思っていた。けれど、安室ちゃんともあろうお方が、わざわざこの北海道の田舎の、吹奏楽部の友達が地区大会で立つような小さな市民会館に出向いてコンサートを開いてくれるということが、新聞にはっきりと書かれていた。広告は、チケット発売日に記載されている番号に電話すれば、チケットが購入できるという内容だった。

すぐに親に「安室ちゃんのコンサートに行きたい」と交渉した。公共交通機関の乏しい田舎町では、近くの街へ行くにも親に車を出してもらう必要があった。けれど、帰って来た答えは「チケットを取るための電話をかける電話代が高いからダメ」という、そもそもチケットを取るための電話すらもかけてはいけないというものだった。私は、幼児のように泣いて交渉したが、結局、電話をかけることすら許されることはなかった。

そのチケット発売日翌日。新聞には「安室奈美恵コンサートのチケット受付に電話が殺到し、周辺市町村一帯の電話回線がパンクした」というニュースが載っていた。もし、「チケットが取れたら行ってもいいよ」と言われていたとしても、結局電話はつながらなかったんだろう。そのニュースを読んで、多くの人がチケットを買うことが叶わなかったと知り、少しホッとしてしまった。

 

コンサートには行くことは出来なかったけれど、親に車を出してもらい近くの映画館のある街まで安室ちゃんの映画を観に行かせてもらったり、100万枚ごとにジャケット写真が変わるアルバムの4種類目のジャケットを見つけて喜んだりと、ずっと安室ちゃんに憧れて心酔する日々を送っていた。そんな日々を過ごしていたのは私だけではなかった。当時、安室ちゃんの人気はアムラーブームと呼ばれる社会現象となっていた。

 

しかし、そんな安室ちゃんに心酔する日々は、あっさりと終わってしまった。時代は90年代後半、ヴィジュアル系バンドブームが到来し、私はあるバンドにすっかりハマってしまう。B-PASS、Viciousなどの雑誌を買い漁り、CDも揃え、安室ちゃんでも(親の許しを得られずに)入っていなかったファンクラブにも入ってしまった。安室ちゃんよりも、もっと好きなものが出来てしまった。

ちょうどそのタイミングで安室ちゃんは新しい命を授かり産休に入ったこともあり、その産休の1年で私は安室ちゃんから気持ちがすっかり離れてしまった。安室ちゃんは私の中の「一番」ではなくなってしまった。

 

それでもずっと買い続けていたCDを買うのを辞めたのは、大学生の頃だった。サークルも楽しくて、後々結婚することになる人と付き合い始め、遊んでばかりいた。CDを買うよりも遊んでいたかった。その頃には、バンドのファンクラブもファンコミュニティの人間関係が面倒になって辞めていた。他に好きだったバンドが次々と解散したり、就職活動が想像以上にヘビーだったりと、色々な要因が重なって完全に音楽の優先順位が下がっていた。社会人になってしばらく経ったある日、ベストアルバムが出ているのをたまたまCD屋の店頭で見つけるまで、安室ちゃんのCDを買うことはなかった。

 

「安室ちゃん、引退するんだって」

私がそれを知ったのは、たまたま荷物を出しに行った運送屋の店頭での帰り際、従業員の私語だった。すぐにSNSを開くと、大騒ぎになっていた。

大人になって、時間とお金が自由に使えるようになってから、私は様々なアーティストのライブへ足を運んでいた。けれど、一度も安室ちゃんのライブへ行ったことはなかった。ツアーの告知はいつも観ていたけれど、「機会があったら行けばいいや」とずっと先送りにしていた。もう「電話代がかかるからダメ」なんて誰も言わないのに。

 

4月14日。札幌ドームで行われた「namie amuro Final tour 2018〜Finally〜」に行ってきた。

初めて見た安室ちゃんはとても眩しい人だった。

 

ステージに姿が見えた瞬間、もう涙が止まらなくなっていた。パフォーマンスに感動するのでも、曲に心を動かされるのでもなく、目の前にいる人が眩しくて涙が止まらなくなるのは、人生で初めての経験だった。安室ちゃんが目の前にいて、歌っている。あの頃、心酔した安室ちゃんが目の前にいる。心の中にいる、安室ちゃんが大好きだった頃の自分に、この美しいステージを観せてあげられたような気分だった。

眩しくて、可愛らしくて、カッコよくて、どんな衣装を着ても似合う姿はリカちゃん人形みたいだった。一人でステージに立つ姿は、とても小さくて大きかった。最初で最後のライブで、改めて「顔が小さい」ということを知った。ステージを駆け抜けていく姿を見て、足が速いことも知った。離れていた時間も長かったのに、セットリストには知らない曲なんて一曲も無かった。思えば、心酔していた頃を過ぎても、結局その後何年かCDは買っていた。買わなくなった後、ベストアルバムを見つけて買うまでに数年の時間があったはずだけれど、そういえばあの時買ったベストアルバムには、ちょうどCDを買わなくなって以降の曲が収録されていた。ツタヤには持っていなかったアルバムを借りに行ったし、それ以降は新しいアルバムが出たら買うようにしていた。

 

本当は、「あの頃好きだった」のではなく「ずっと好きだった」のかも知れない。気づいていなかっただけで。

 

涙は終演まで止まらなかった。好きの気持ち、憧れた人が目の前にいる感動、そしてずっと会いに来れなかった後悔。色んな気持ちが混ざり合って、止めどなく涙が溢れてきた。たった1人で来て、スタンド席でずっと泣いている女が横にいて、隣の席にいた人たちには本当に迷惑だったと思う。でも、隣の人もずっと泣いていた。帰り際、隣の人が同行者に「最後に、私が好きな奈美恵ちゃんをどうしても見て欲しかったんだ」と言っているのが聞こえた。ずっと応援して来たファンの人もチケットを手に入れられなかったことを知っていたから、この場に来たことをずっと「本当に私が来て良かったのか?」と思っていた。でも、自分に向けられたものではない言葉に、ほんの少しだけ許された気持ちになった。

 

ちょうど私が安室ちゃんのCDを買うのを辞めた頃、あんなに万能に見えていた安室ちゃんが現状に行き詰まりを感じていたことを、昨年インタビューで知った。私は安室ちゃんが一番ファンの人について来て欲しかった時に、ちょうど見捨てていたんだと知った。札幌ドームで初めて観た安室ちゃんが、私が心酔していた頃と変わらずにキラキラして、眩しかったからこそ、そのことが余計に苦しくなった。思い上がりかも知れないけど、最後に会えたからこそ後悔した。